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Le beau printemps *~almeria~*lot of hobbies

*Lifework*いろいろハンドメイド、happy旅日記
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穏やかな陽気。晴天で桜か・・

2015.3/28㈯

最低気温8℃ 最高気温20℃ 昨日は最低気温が4℃.

昨日同様今日も寒暖差の激しい日ではありますが、
晴天でとっても気持ちが良いです。


姫路城ハルリン
※友人から届いたメールに姫路城。 私まだ見たことない。


母の入院する病院近くの川沿いの、
桜がふんわり、ほっこりと花を咲かせておりました。


今日、かなり咲きそうです



今週末ずっと父の調子が悪く、今日は朝から腰痛(足も)を訴え
全然冴えません。


今朝、母の病室にサブベットを用意していただきました。


母の傍でゴロゴロしていれば、父満足なか?なんて、思って。


お昼過ぎに姪っ子がお見舞いに来る事を知り、ちょっとお願い・・と、
一旦用事を済ませてから、ふら~っと川沿いを散歩。


何も考えずに、ぼんやりと、歩いていてみました。



明日、気分転換で父を散歩に誘おうかと思うのですが、無理かな。 



※父は精神的にも疲労してしまい、
 マイナス思考で、落ち込みが激しい。何度も同じとこを聞く・・。
大変温厚な父ですが、苛々して少々私に八つ当たり


・・あ~ん💦


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆

母の病状。

一時、どうなることかと焦りましたが、小康状態です。

すぐにどうこうといった、様態ではない・・と、思います。



緩和ケア病棟に移った日(3/25)の日中 母、入浴したとの事。
私は見てないのですが、お風呂って寝たまま入れるのだそうです。


※通常は、朝9時前後に体拭きや着替えをして頂きます。



追記:夕方から血圧が下がりはじめたとの連絡あり。
父と私が、泊まりで付き添うごとになりました。pm18:00









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介護疲れが今、こんなときに。⑩

夕方父から電話がありました。



『今さっき病院から帰って来て疲れちゃったよ!』


『夜、どうしょう。お前、どうする?』



わたし
『疲労が溜まってるんだから、病院に来ないで家で休んでて』


『私は、病院へ行く。ゆっくりして遅くに帰るから』



肩から首回りが痛い。喉が痛い。頭痛も少し。
病室に着いたとたん、風邪の症状です。




寂しがりやの父から、

『何時に戻る?』と、3回電話があったのですが



『まだ此処にいる、帰らない』とわたし。



早く父の待っている実家へ戻ってあげなきゃと思っても、
怠くて、なかなか動けませんでした。



父も、私も、こんな体調では病室に泊まれないなと思いました。
だって、病室には夜中何度も看護師さんがいらっしゃるので、
落ちつかないですし、やはり眠れませんものね。



いまは、実家で

0時過ぎたので、寝ますね。







緩和ケア病棟の広い部屋⑨

予約待ちしていた、広い有差額ベッドのお部屋に
移りました。


バス・トイレ、洗面所は同室ですが、

かなり広々としており、使いやすそうです。

患者の家族が2名泊まれるので家族も使用可能です。




私が、病室に着くや否や、父が、

『何時に帰る?』 と、聞くのです。


『広いお部屋だしゆっくりしていく!』と、私。

『夜何時まで居てもいいんだもん、
私、来たばっかりなんだけど?』



『そうだよな、沢山いないと勿体ないよな!』
そう返答しつつ、
落ちつかない、父。 じっとしていられない、父。


ここにいると便が出ないんだよ、とかなんとか。


病院通いがなくなったらどうなるのだろう?

母に依存していた、父。寂しがりやで一人じゃいられない、父。


こっちも、かなり大きな問題です。




こんな父ですから、
病室に泊まるなんて絶対無理ですね。



母が喋った!~末期のすい臓癌と宣告されて~⑧

23日(月)、
病院に着くと 父とママ友のHさんが来ていました。


『今日は、凄く調子が良くて、話しかけたら、
ちゃんと理解してるよと言わんばかりの表情をしたんだよ!』

『俺の話を聞いて、笑ったんだよ!』

と、父が大興奮で私に報告。


毎日のように、


『ママと俺は2人で1人だった』
『ママがいなくなったら、俺は生きられないってことなんだよ』。

とか、

『なんで俺より先に逝くことになったのかな・・』
『俺は、もうお終いだ』。


とか、

『薬なんて飲む必要ないんだ』
『インスリンなんて、打つ必要ないんだけどな・・』 
※父は糖尿病で12年前からインスリン投与


とか、言いながら生きている父への母からのプレゼントですね。




私が 『ママ!、痛くない?辛くない?』 と、訪ねたところ、
『大丈夫だよ!』 と、返答したのです!!



もうビックリ!



すごい~っ!


父は、昨日の状態をみて、
『脳もやられてしまったんだな…』そんな風に
思ってたそうです。
昨夜は微熱(37.7)もあり、私もそう、諦めてました。



こんな奇跡のような事が、起こるんですね☆


明日、安心して会社に行けます。




今日は比較的穏やかな表情で…⑦

血糖値、下がりました。
ステロイドの副作用で一時600台まで上昇しましたが
1日4回のインスリン注射で250前後におちつきました。


がん終末期の倦怠感改善に、ステロイドは有効的なので
ステロイドとインスリン投与は、続けるようです。




『死ぬのは怖くない。死ぬまでの痛みが…ねぇ』

『もう痛いのは嫌だー!』



血管がどんどんもろくなっていきますが仕方ないです。



母のお父さん、次男の兄、三女の姉、五女の妹もすい臓癌で
亡くなりました。

母の三男のお嫁さんゆみちゃんのお母様も57歳の若さで
すい臓癌になり、手術したものの術後3ヵ月で亡くなったそうです。


昔は、末期の病人でも起き上がってしまう程のひどい激痛に
最期まで苦しめられたとか。
いまは、そこまでの苦しみを感じることはなくなっている
ようですが、とにかく『痛い癌』だそうです。


ここは血糖を調節するホルモンがつくられるところですが、
母の血糖値は、半年前位~入院時も正常値より若干高い程度でした。



あっそうそう、
魚の腐ったような目…すら殆ど見せてくれません。
1日、1回か2回、2,3秒ぐらい開けるのを瞬間的に
みるくらいです。

今日も、急変の呼び出しあり⑥

母が、全身黄疸で緊急入院したのが1/20でした。


あれから丁度2ヵ月、すっかり季節も変わりました。
もう桜は咲いているのでしょうか?
今の私の目には全く入って来ません。


毎日、ドキドキしていて精神が休まらないな。
ときどき、酷い睡魔や、立ちくらみも…、
疲れてるけど、頑張るしかない!



『家族みんなで癌と闘う』。初めての経験です。



こんな切羽詰まった状況に置かれると、
何年も仲が悪く疎遠の(絶縁状態に近い)兄弟でも、
歩みより近づくんですね、母親の存在の大きさと、
パワーに驚かされます。


そんな母の瞳は、今、魚の腐ったような目になっています。

パクパクと、口を開けたり、ぎゅっと閉めたり、
痛みを感じて唸り声を発することもできません。


でも、まだ聴覚はしっかりしていて私達の話す簡単な
言葉はわかるみたいです。


母より8歳年上の亭主関白の父が、
一生懸命 『ありがとう。ありがとう。』
と、言っていた……


父から一度も聞いたことがないと、言っていた言葉。
聞こえたよね?


よかったね。

今日も、皆の言葉かけで、持ちこたえてくれました❕








緩和ケアのドクターより呼び出し、何??⑤

午後、留守電にメッセージが入っていました。

『病状のご説明を致しますので・・何時に、なるべく早めにお越し下さい』

心臓がバクバク、バクバク・・

病院へ向かう電車の中で鼓動が止まらない。

病室に着いてもおさまりません、ママ、私も息苦しいよっ・・。



今日の血液検査の結果、血糖値が674もあることがわかりました。

これは、全身倦怠感を取り除くための、ステロイド注射の影響だそうです。

高血糖により

非ケトン性高浸透圧性症候群(昏睡)⇒腎機能低下⇒高カリウム血症



そして、白血球=12.4H↑ 増加。 

尿路感染+肺炎の併発。  これは抗生剤を投与するとの事。


また、ガクンと母の病状が悪化しました。
夕方、17時から21時近くまで母の傍にいましたが、・・話しかけても
答えてはくれませんでした。


でも、何度も何度も懸命にサインを送っているのがわかりました。

私の手をぎゅっと握る、口元に変化をつけて動かす。だけ。


母の10歳年下の看護師のお友達、Hさんが売店に行っている間、

『ママ~!聞こえてる~?今起きてるよねぇ??』

『ママっ!』 『マーマ~っ!』

突然、また涙が溢れてきて鳴き声で叫ぶと、
母、気づいたのか、口をむにゃむにゃ動かしていました・・。


再入院後、パパとあなたの為に頑張るよと言ってた母。

あっ、そうそう。
この前の土曜日でしたか、・・・
私をじっと見つめて『あんたって、・・すごく優しいんだねぇ』って・・


そんな、今更、しみじみ言われても・・
はい。そうなんです、やっぱり・・あなたの娘なので


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆


緊急で訳あり、たまたま定期を持っておらず切符購入して病院へ。

今日は自宅へ帰宅したのですが、券売機の前に、

何と2万円、置き忘れて電車に乗ってしまいました💦

たまたま、お財布ではなく、
小さなポーチにお札と小銭を入れておいたんですね。


小銭を取り出すのに、お札が邪魔だってので出して、・・・
そのまま忘れました。


どうしちゃったんだろう、私。
やっぱり精神的にも相当疲労してるんですね。

悲しい混乱と足のむくみ&便秘④

夜間だけではなく、日中もせん妄が酷い母。
話し方は大変穏やかですが、常に不穏で、寂しげな言葉を発します。



『助けてぇーー、誰か来てぇーー、助けてぇーっ!』と叫んでも
誰も来てくれなかった。

『この痛みを消すことはね、もうできなくなった・・』

『痛み出す前に
どんどん薬を飲んで痛みを食い止めなければならなかったのに・・』

『誰も来てくれなかった』 
『私のいう事を聞いてくれなかった』※薬をくれなかった。

『痛み出してからじゃ、どんなに薬を使っても痛みを止めることはできないの』

『誰も、それに気づいてくれなかった』

『それが、残念。』


目覚めている時は、いつも全身が痛みます。
体に重たい何かが乗っているような感じなのだそうです。


セレネース 点滴
※夜間せん妄、強い不安感や緊張感、また混乱状態を
しずめのに使用していますが、正直、あまり効果を感じません。






足の浮腫みだけは、相変わらずです。



解消方は、マッサージや足を高くして寝る位です。

自宅ケアしていた時は、1日、2回、湯銭に15分、足首迄を浸け
マッサージをしていました。

今の母には、湯銭に浸かるはしんどい作業ですから、静にさする位です。



血行を良くし老廃物を取り除くのに、
足首たけでも温めてマッサージする。は、とても効果的です。



入院して良かったこと=>>便がスムーズにでたことです。


昨日、排便がありました。
自宅ケアの一カ月間は、この酷い便秘に 母だけでなく
皆が苦しみました。

アローゼン(就寝時4袋)、ミルマグ(朝昼晩2条ずつ)、
ラキソベロン(酷い時は40滴以上~1本)
5日目には、浣腸30ml 
これでも出ない。

とば口まで下りてきているのに出ない状態は、お尻が痛くて激痛が
走ります。なので、摘便しました。


一度摘便すると、今度は、下痢状態になり止まらなくなってしまうこともありました。

ですが、溜まっている便秘は出した方が良いとの指示があり
就寝前に、プルゼニド2錠を追加(2/25~)しました。


今は、これらの錠剤等を服用しておりませんが、
適便の必要はなくなりました……。
痛くて辛いので、それだけでも、救われますね☆


メモ:3/17緩和ケアチーム面談。延命処置しますか。





母、せん妄が酷い③

日曜日には、もう駄目かなと思いましたが、
月曜、火曜と、少し話ができています。

が、!!!!!

夜7時過ぎ病室に着くと、
母が若い女医さんに、なにやら必死に訴えています。

『腰にオモチャがくっついている!』

『私が、おかしなことばかり言うものですから……
看護師さん達に苛められても仕方ないんですけどね』


※当たり前ですが、苛める看護師さんなどいません。


『私(母)、怒ってるんじゃないですからね、ただ事実を
報告してるだけ』


私、『❓❔❓』 先生、聞き流し……。


『娘も来たことですし、もー、大丈夫っ』

『この子をずっと側に置いて帰らせませんから』


私 、(心の中で)『緩和ケア病棟じゃないから泊まれないよ』

緩和ケア病棟は、予約を入れ現在、空き待ち。
早く入れると良いのですが。


……………………………………☆

しょっちゅう、おかしな夢を見ているようです。

ニタっとしたり、眉間にシワを寄せてしかめたり。

先日は、浅草の病院に連れていかれ怖かった。
とか、山奥の病院に入れさせらて、Mさん(義姉/嫁)が来て
連れ出してくれたんだよ、やった➰!

とか。
母は、今どこに居るのだろう。

自分の居場所が安定していないという不安。
家にはもう帰れないという悲しみで一杯なのでしょう。



……………………………………☆



痛み止めの経口薬と点滴のこと

2/19から、医療用麻薬のオキシコチンを1日2回と
1時間あければ何回服用してもよい、顆粒のオキノーム

3/14から、オキファスト(持続静注)ヘ。

副作用は、モルヒネとそれほど変わりませんが、
副作用に、傾眠ありです。

オキファストは、
モルヒネより肝臓に負担がかからないそうです。


誤字あったらすみません、後日直します。


私の母。膵臓癌末期。余命2.3か月と宣告されて②

今月10日、火曜日 再入院。

12日、木曜から母の病状は坂道を転がり落ちるように悪化しました。

もう少し、家にいさせてあげたかったのですが、

もはやこれが限界だったようです。

黄疸で緊急入院、胆管にステントを入れ、検査の結果

末期の膵臓癌とわかったのが、1月20日。

本人の希望を最優先するとのことで、2月上旬に退院。

自宅での緩和ケアが始まりました。

私は、仕事があります為、夜の介護担当。母と私、父と3人の生活。

約一カ月、母の傍で寝起きの生活をしておりました。





3月。49日目の外来の日。

担当の主治医から『よくもちましたね』。と付き添いの兄夫婦が

言われたそうです。

これからどのように余生を過ごしたいかと言う質問に、

病院が大嫌いの母でしたが、『病院で最期を終えたいです』。

『入院します』。と、答えたそうです。


家では、家族の為に必死に頑張って、

食べて、話して、笑って、頑張って真夜中も歩いておトイレに行って・・



『あー、病院に来た。もう頑張らなくてもいいんだ』


そんな安堵も加わったかのように、再入院してからは全身を倦怠感に襲われ

ぐったりとし、あんぐりと大きな口を開けて、殆ど寝ています。

ちょっと前までの元気な母の姿を見ることは出来なくなりました。


母が、『もうこれ以上、娘に迷惑掛けたくない』

『あの子は昼間仕事をしていますから、このままでは倒れてしまう』。
そうも言って、入院を決意したそうです。

私は、全く疲れなどありませんでしたし、むしろ一度に両親を

実家で看れるので楽だったし、なにより楽しかった!!!



義理姉に、『Hちゃん(私)がRくん(息子)に迷惑掛けたくないと思うでしょ?』

『その気持ちと、同じだよ』。と言われ、



『あっ、そっか』と、仕方なく納得しましたが、
母のいない、実家部屋で、毎晩寂しくて泣いています。



母は、もう、生きて実家へ帰ってくることはないかと思います。

もう、病院へ行って傍にいてあげることしかできなくなりました。

以前は、身体をさすって、さすって、・・と言われ沢山さすって
あげたのですけれど・・。



昨日から24時間モルヒネ点滴がはじまりました。



ママ、もう薬は飲まなくてもいいんだってさ。良かったね。




※もしかして、あまりにも母が良く寝ているので

モルヒネでは末期の全身倦怠感は、取り除けないらしく、睡眠薬のレンドルミン
の点滴投与かもしれませんね。

確認してみます。